東南アジアで韓国の波に乗る
東南アジア全体で西洋文化支配が韓流ブーム現象に取って代わられています。
20世紀の国際コミュニケーション調査は、いわゆる「文化帝国主義」学校に支配され、西洋(通常アメリカ)の文化産業が世界の文化を支配し、弱者を征服していると言われていました。
しかし、20世紀の終わりに近づくと、世界的に逆の流れが起こり、この西側からの一方的な考え方はもはや関係なくなりました。この時点ではラテンアメリカのテレノベラや、インドのボリウッド、香港映画、ジャパニメーションがこの現象の良い例でしょう。
キム シック
1990年後半以降、韓国のテレビドラマや映画、ポップミュージック、芸能人などの韓流文化が中国、台湾、香港、その他東アジアや東南アジア諸国で大人気となりました。メディアはアジアでの韓流文化の盛り上がりを韓流ブーム(韓国語ではハルリュ)と呼び報道しました。2002年3月には報道関係者は「『kim chic(キム・シック)』と呼ぶように」と呼びかけました。
「食文化や音楽から眉の形や靴のデザインまで、ポップカルチャーは東京やハリウッドに支配されていたアジア全体で韓国のものが流行しました」と、ディーン・ヴァッサー氏はワシントンポストで述べています。ハリウッドの芸能レポーターによると、「ぱっとしていなかった韓国の映画界も、アジアの中でも熱い市場に変貌を遂げました。」と言うのです。韓流ブームは明らかにマイナー文化の復活を表しています。
事実、韓流ブームはアジアの評論家から手放しで受け入れられた訳ではありませんでした。むしろ、韓国は2000年代まで、きらびやかなポップカルチャーを海外に発信するような国とは考えられていなかったため、驚きや恥ずかしさが見られ、すぐに流行は去るだろうと思われていました。
結果、韓国人とアジア人(中国人、日本人、ベトナム人を含む)が、文化的に近いということや似たような容姿を持つという要因により、韓流ブームが起こったのです。この点に関して言うと、イスラム教コミュニティの中では韓国ポップカルチャーは流行らないと考えた人もいます。しかし、韓国ポップカルチャーは、東南アジア地域全体で徐々に浸透していきました。
東南アジアでの地域的な韓国文化の広まりは、徐々にインターネットやSNSに移行していきます。東南アジア社会では検閲が厳しいのですが、SNSなどで若者たちは自由に意見や思想のやりとりをしています。
文化の共有
韓国ドラマやKポップに見られる他国との違いが東南アジアの人々には魅力として機能しました。家族を重んじるようなシーンはアジアのドラマでは一般的ですが、家族の関係性がそれぞれ異なります。容姿は似ていてもアジアの他の地域のドラマの登場人物が取る行動は異なるのです。韓国文化から産まれたものが複雑な文化の過程や文化的活動を解放したことで、人々は自分達の社会文化の状況や隠れた可能性を知り、己の中の再帰的な部分が呼び起こされたのです。
例えば、日本のテレビドラマはもはや若者の恋愛をメインにしたりせず、主に専門的なものを対象にしています。このような状況で日本の中年女性の多くは、若き日の郷愁が呼び起こされ、韓国ドラマを楽しいと感じるのです。現実的ではないところもある程度ありますが、韓国ドラマの男女関係の特長は東南アジアの農村部にすむ視聴者には男女平等について考えるきっかけにもなっています。
東南アジア諸国の視聴者、消費者にとって、経済的に発展した韓国社会が、彼らの理想にもなっているのです。例えば、1970年代初頭、ミャンマーは韓国より裕福な国でしたが、韓国が短期間で急速に経済発展を遂げたため、多くの東南アジア諸国にとってはそれが経済発展のモデルとなりました。
東南アジアの多文化社会では、文化共有の欠如は政策立案者の重要関心事です。シンガポールやマレーシアなど、社会での人種による選別や宗教上の不和という緊張の中、社会的アイデンティティーや所属の意識を作ることは最重要事項なのです。
けれども、韓国ドラマに見られる文化的な描写は東南アジアの支配的な社会文化の表現とは相容れない場合もあります。例えば、マレーシアの映画倫理委員会は女装・男装およびトランスジェンダー問題の増加の原因としてたびたび韓国作品を批判しています。
現地のプロデューサー達は当初、韓国文化帝国の雄叫びと言っていいほどの韓流コンテンツの大量流入に驚愕しました。台湾では韓国のボーイズバンド、スーパージュニアの楽曲「ボナママ」が2010年から2011年にかけて、台湾の音楽チャートで55週間トップの座に君臨しました。実に丸1年以上です。それまでの台湾の全ての記録を塗り替えました。2005年にはテレビドラマの「宮廷女官チャングムの誓い」が、香港テレビ史上最高視聴率の快挙を遂げました。2001年には台湾俳優組合が海外のテレビ番組の放送を禁止しました。主に韓国からの作品を対象としたものです。しかし、韓国ドラマの人気により、国内で国内の役者を起用し、韓国ドラマのストーリーを取り入れた新しいドラマが次第に生み出されるようになりました。また、韓国ドラマや映画から取った場面を現地の状況に基づいたストーリーで作られたりもしています。
また、Kポップミュージックもカバーされ、多くのボーイズバンドやガールズグループが東南アジアで芽を出しています。みんなKポップダンスの動きをアレンジしたり、Kポップの制作スタイルを真似しています。これは新しいポップカルチャーのジャンルが生まれた証です。
事実、ハリウッドの真似をすることや、ハリウッドから学ぶことが全て韓国映画界の成功の方式に当てはまるとは言えませんでした。韓国映画は、1970年代の郷愁や南北統一問題など聴衆の実体験に関連したものが成功を収めていたのです。
そのため、東南アジアで生まれた新しいポップカルチャーのジャンルは、人々の体験や気持ちを表現する文化の伝達手段として機能することが期待されています。歴史を見てみても、文化が国境を越えて異文化と出会い、新たなシンボルを生み出すということが分かります。これらのことを踏まえてみても、新たに文化的かつ遂行的な表現方法(社会に変化をもたらす表現)が生まれる時まで、東南アジアの韓流ブームはまだ続きそうです。