日本での東南アジアアート展、史上最大規模で開催
数年前、台湾人アーティスト、リー・ミンウェイの森美術館(MAM)での個展の記者会見で、南條史生館長は美術館の方向性について話をしました。もはや「西洋の」アートへの興味は薄く、アジアに焦点を絞っていくというものです。
この方針の表れが、「サンシャワー:1980年代から現代に至る東南アジアの現代アート」で、これは大きな出来事です。MAMと共に東京国立芸術センター(NACT)主催の展覧会は、同時にASEAN設立50周年記念の催しでもありました。2つの機関から派遣された、インドネシア、マレーシア、ニュージーランド、フィリピン出身の4人のキュレーターがこの展覧会のために協力し、2年半にも及ぶ準備を行った末の催事でした。また、日本の財団、10カ国の大使館、6社のメディア、2つの航空会社、シャンパンで知られるポメリー社, その他4社のスポンサーの協力もありました。(そのうちの一つは株式会社大林組で、近年宇宙にエレベーター建設構想を発表しています。)
この展覧会には共産主義の他にも、不安材料がいくつかつきまといました。それは、植民地主義、モダニティー、そして地方と世界の関係です。特にその土地固有の芸術と、世界主義の象徴としてのギャラリーアートの対比についてです。そしてもちろん日本と東南アジアの歴史的関係についての不安もあります。これは、MAMの吹き抜けに展示された、アピチャートポン・ウィーラセータクンとチャウ・サイリス制作の等身大アートと並ぶ、見て見ぬふりの問題の一つでもあります。
美術館には2つの会場と9つのセクションがあり、特定のテーマにハイライトを当て、そして200近い展示物が分類される工夫がされています。作品の多くがその時代の問題を扱っているため、作品をジャンルごとに分類するのではなく、分かりやすい順に展示することで、この部門は来館者に様々な問題の提起をしていると言えるでしょう。
リュウ・クンユウの作品シリーズ「Proposals for my Country」の、マレーシアの都会の風景を写した、雄大かつ勢いのあるエネルギーに溢れたフォトコラージュは、グローバリゼーションと近代化が伝統文化にもたらした影響に焦点をあてた「成長と損失」というセクションによくマッチしています。アングン・プリアムボドの双方向性のある、がらくた「Necessity Shop」は、我々が人生でどれだけのものを必要としているのかに疑問を投げかけた作品で、リュウ・クンユウと同様に、世界的資本主義が与えた均質化の影響について意見を述べている点からも、プリアムボド、リュウの作品が並ぶのも良いでしょう。けれども、プリアムボドのショップが最後のセクションである「一日ごと」の最後の展示作品としてNACT(国立新美術館) に姿を見せています。怪しい商品を取り扱うギフトショップを通って出なければいけないという冗談がきいていて、キュレーター達はその作品を見逃す手はなかったでしょう。
そんな気楽なタッチの作品もありますが、通常NACTの展示作品にはMAMの作品よりシリアスなものが多くあります。MAMでは、チリンチリンと音の鳴るキネティックアートの彫像が、誰の気分を害することもなく気分良く、出迎え、見送ってくれます。カンボジアのヴァンディー・ラッタナの2009年のフォトシリ-ズ「Bomb Ponds」や、バン・ニャット・リンの「The Vacant Chair」のような、シリアスと楽しさの間にある、背筋のぞくっとして忘れられなくなってしまうものもあります。「The Vacant Chair」は、ボロボロの北ベトナム空軍の戦闘機の操縦席の作品です。彼らの作品は、言葉を何も添えないままでいることが効果的です。
「弁証法的唯物論」の言葉と共に描いたノルベルト・ロルダンの社会主義リアリズムの反マクロ主義作品や、芸術家スベイ・ケンとリー・ダラヴスによるクメール・ルージュ時代のアーカイブフォトの挑戦的な使い方、タイ人芸術家のワサン・シティケートが1976年のタンマサート 大学の虐殺事件での暴力行為や殺害の様子を決然と描写した作品のように、ACTの作品展に曖昧なものはありません。シリアスな作品が素晴らしくて面白いものが悪いというわけではありませんが、MAMの作品展から東南アジアアートがキッチュで大衆的なものであるという印象を持ったなら、NACT の展示作品からは現地の日常的なものを題材にすることが、様々な圧政や、植民地支配、民主主義への抵抗から生まれ出たゲリラ活動であることがわかります。
これらすべてのサバルタンの声を「サポートする」風潮をふまえると、日本の公共および民間の芸術施設には、競争や順位争いを伴う社会進化論の枠組みの中での価値を生み出す源として以外に外国文化を捉えることができるような、説得力のある業績がないというのは気になる問題です。「サンシャワー」のような大きなイベントを起こすという動きはまさに、都市の中枢に、異なる様々な文化から素材を引き寄せる役割を果たしている様子が目に浮かび、多くの情報を伝えるグローバル化批判の精神とは正反対の活動でしょう。
我々はここに多くの場合、文化交流の根本的な場所としての美術館の理念に挑戦することを目指す作品を展示するための、白い立方体の空間というパラドックスを加えることができます。
一方、「欧米」では、芸術の専門家は大規模な国際展示の時代は終わりだろうかと思案しています。例えば、評論家であり作家でもあるJ.J.チャールズワ―スは、「The end of the Biennale」という芸術評論雑誌の最近の記事で、「大規模な国際作品展はトップダウン構造で、明らかに改善の余地はない」と述べました。
これらの問題に反して、「サンシャワー」は、物語や歴史、そして見るものがこれまでにさらされた事のない認識を表現するという点で忠実であり、尊敬に値します。
しかし、作品展を批判的社会に持ち込むことは「なぜここで?」「なぜ今?」という議論を引き起こしてしまうでしょう。それは、日本の戦争時代の歴史に対する悔恨を絞りだしたい訳ではなく、近年の権威豊かな作品一覧の作成の推進運動や現代の東南アジアアートへの関心のためです。かつての植民地支配国の経済的に発展した都市の中心では、より厳密に精査されるべきでしょう。